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藤井菜々子の父はマラソンランナー、家族や出身校、競歩への転向はいつ?戦績も

陸上選手
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2024年2月18日に行われたパリオリンピックを兼ねた陸上の日本選手権20キロ競歩で藤井菜々子選手は2位を1分以上引き離して優勝しました。

自己の記録を59秒も縮めました。

そして、東京オリンピックに続いて2大会連続のオリンピックの切符を手にしました。

パリオリンピックではどんな活躍を見せてくれるのでしょうか?

そんな今大注目されている藤井菜々子選手の家族や出身校、そして競歩に転向したこと等々追っかけアスリートブログの私はいろいろ調べてみました。

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藤井菜々子の父はマラソンランナー?家族は?

藤井菜々子選手はご両親と3人家族です。

陸上選手はご両親が陸上をされていた方が結構多いのです。

走りの速さは遺伝子されるのですよね。

藤井菜々子選手のご両親はどんな方のでしょうか?

お父さんは藤井孝樹さんです。

今は50歳代なのですが、今も市民ランナーとして走っているそうでマラソンが好きな方なのです。

マラソンが好きということは走るのもが得意で速いのでしょうね。

お母さんは藤井真由美さんです。

なんと、お母さんも学生時代に短距離をされていたそうです。

短距離の選手はがぜん走りがとびぬけて速いですよね。

藤井菜々子選手はご両親共に陸上をされていて、運動神経抜群の血をひいているのですね。

ご両親は教育熱心な方のようで、当たり前のことを当たり前にできるように日々幼い藤井菜々子さんに教えて育てられたそうです。

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藤井菜々子の出身校はどこ?

藤井選手はお父さんの仕事の転勤で福岡県に引っ越しをするまで山口県で暮らしていました。

山口県に在住の時から長距離を走ることが大好きだったようで、小学校1年生の時から校内のマラソン大会で優勝しています。

小学1年生の頃から走るのが好きでマラソン大会で優勝するなんてすごいですよね。

藤井選手は小学3年時から陸上クラブに通い始めます。

ほんとに走るのが好きだったのですね。

ある時、陸上クラブで近くのダムまで山の中を走ったことがあったそうです。

その時、藤井選手だけは大人について完走しました。

すごい持久力と精神力がもうこの時からあったのですね。

当時は100メートル走や800メートルリレー、クロスカントリーなどの種目にも取り組んでいたそうです。

いろんな競技に挑戦していたのですね。

でも心は「長い距離を走ること」に向いていたそうです。

藤井選手は小学校4年生までは山口県光市に住んでいました。

福岡県に引っ越しした後は、【那珂川ジュニアランナーズ】に通い始めます。

当時は中距離リレーに取り組んでいたそうですが、いつも目標は「長距離を走ること」だったようです。

自分の中でしっかりした「長距離を走ること」というしっかりした夢を持ち続けていたのですね。

この為に努力を惜しまなかったそうです。

藤井菜々子の中学校は那珂川北中学校

那珂川北中学校では、800メートルや1500メートルなどの中距離が中心となります。

藤井選手は、学校の部活動に所属しながらクラブチームにも通い、平日も土日も練習漬けの日々を送りました。

中学校の頃からこんなに熱心に取り組んでこられたのですね。

藤井菜々子の高校は北九州市立高等学校

高校は「駅伝を走りたい」ことを理由に、親元を離れて長距離の強豪校、北九州市立高等学校に進学します。

北九州市立高等学校は長距離の強豪校です。

長距離を走りたいという夢を持っていたので長距離の強豪校を選んだのですね。

夢の為に親元を離れる道を選んだ藤井選手は意思が強いですよね。

高校では、トラックで3000メートルや5000メートルに取り組みながら、1年生になのに全国高校駅伝の地区大会を走ります。

高校1年生の2月、毎日のストイックすぎる練習のせいで左足のすねを疲労骨折してしまいます。

普通なら休むところなのですが、藤井選手は違っていました。

すねを疲労骨折していても「走りたい」と言って、練習に参加できない間にも心肺能力を高めるために競歩の練習に参加するのです。

その時、先輩の競歩選手や同級生選手の後ろを歩く藤井選手の歩みを見た荻原知紀監督が大きな可能性を予期します。

藤井選手の競歩の可能性をすかさず見出した監督もさすがですよね。

そして、監督は藤井選手に競歩転向を勧めるのですが、転向を拒否します。

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競歩の転向はいつ?道のりは?

藤井選手がリハビリの過程で出合ったのが競歩でした。

怪我をしなかったら出会っていない競技ですよね。

故障からの復帰で他に出場できる種目がなかった時に荻原知紀監督から競歩の試合に「1回出てみろ」と言われたのです。

藤井選手は監督の指示に従うしかありませんでした。

そして、仕方なく北部ブロック予選会に出場たのです。

軽い気持ちで臨んだ競歩の初レースは簡単に予選会を突破します。

そして、2週間後の福岡県大会で優勝するのです。

さらに2週間後の北九州大会も制覇します。

すごい快挙ですよね。

そして、夏のインターハイではついに日本一に立ちました。

レースに出るたびにタイムが縮まっていく好記録を出しながらも、「私は長距離」と頑なに走ることへのこだわりを捨てなかったのです。

インターハイでは日本一になっても、競歩に転向する気持ちはなかったそうです。

長距離への夢が捨てきれなっかたのですね。

そんな藤井選手を競歩の世界へと導いた方がいました。

競歩女子の第一人者といわれ、東京五輪代表に内定していた岡田久美子さんです。

岡田久美子さんは競歩の日本記録保持者です。

藤井選手は、日本陸上競技連盟が選手の強化育成を目的に導入している「ダイヤモンドアスリート」制度の4期生に認定されます。

その活動のなかで岡田選手と一緒に練習する機会がありました。

岡田選手とトレーニングや会話を通して世界のトップレベルを肌で感じた藤井選手は、競歩で「世界をめざしてみたい」と考えるようになったのです。

岡田久美子選手との出会いは大きかったですね。

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藤井菜々子の競歩の戦績

2016年高校2年生の時に、インターハイ女子5000m競歩で優勝!

2017年高校3年生の時に、インターハイ女子5000m競歩で優勝!2連覇します。国体5000m競歩で優勝!

2018年アジアジュニア選手権 10000m  2位
U20世界選手権 10000m  4位
国体 5000m  2位
全日本50㎞競歩高畠 20㎞  優勝
2019年世界選手権の20km競歩で7位入賞。
日本選手権20㎞競歩 20㎞  2位

2020年3月15日全日本競歩能美大会20km女子で優勝します。

2020年の夏、岡田選手に続いて女子20キロ競歩オリンピック代表に内定します。

藤井選手を競歩に導いてくれた憧れの先輩とともに東京五輪の舞台に立ったのです。

東京オリンピックでは藤井菜々子選手は13位で、岡田久美子選手は15位でした。

パリオリンピックでは岡田久美子選手より先に代表入りを果たします。

背中を追いかけていた、藤井選手は岡田選手を超えるほどの実力を持つ選手に成長していったのですね。

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藤井菜々子の身長・体重・プロフィール

藤井菜々子選手の身長は159㎝です。体重は44㎏です。

名前は藤井 菜々子(ふじい ななこ)と読みます。

1999年5月7日生まれです。

四柱推命的には、何事にも積極的に挑戦していきます。最後まで自分の力でやり遂げていく根性の人です。

このようなところが生かされているのでしょうね。

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まとめ

長距離選手を夢見ていた少女が今や競歩でオリンピック選手となって、活躍しています。

いろんな出会いや導きがあって今の藤井選手がいるのですね。

パリオリンピックでも素晴らしい競歩を見せてくれると思います。

楽しみですね。応援していきたいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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