小田凱人(ときと)選手は、2023年6月に開催された車いすテニスで全仏オープンで優勝して、史上最年少でグランドスラム初制覇しまいした。
そして、史上最年少で世界ランク1位を獲得しました。
また、2023年7月に行われたウインブルドンでも初優勝しました。
2024年1月の全豪オープンでも初優勝を果たして、4大大会の3勝をしたのです。
ものすごい快挙ですよね。
2024年パリオリンピックでの活躍が本当に楽しみです。
小田凱人選手はイケメンで爽やかな好青年です。
小田凱人選手の家族の事、両親兄弟や、壮絶な病気を克服した事や、出身中学校、高校の事等々追っかけアスリートブログの私はいろいろ調べてみました。
小田凱人の家族構成は?
小田凱人選手はご両親と姉と弟の5人家族です。
お父さんのお名前や職業などは公表されておらずわかりませんでした。
小田凱人選手が車椅子テニスを始めた時に、お父さんがテニスの練習相手をされているので、スポーツマンだったのではないかと思われます。
また、お父さんはギターが趣味で、その影響で小田凱人選手もお父さんのギターで何曲か弾く事が出来るそうです。
練習の合間にはお父さんが疲れた小田凱人選手の肩を揉んでくれたりする優しいお父さんなのです。
そして、いつもお父さんが『お前なら出来る!』と励まし続けてくれたからグランドスラムが制覇できたと小田凱人選手は話しています。
お父さんは心の底からそのように思っていたので、小田凱人選手の心の深くに言葉が響いていたのでしょうね。
小田凱人選手は両親の事を無限に信頼しているそうで、尊敬しています。
お父さんのことを『自分以上にパワーのある人』と話していました。
子供からこんな風に信頼され、尊敬されているお父さんは愛情深い素晴らしい方なのでしょうね。
小田凱人の母は小田直子さん
小田直子さんは、現在51歳です。
小田凱人選手は34歳の時の子供です。
小田凱人選手が小学生の時に大きな病気をしてしまうのですが、母親としては、自分の事以上に辛くて大変だったと思います。
大きな苦しみを顔には出さずに明るく励まし続けてこられたのでしょうね。
入院中からも献身的に支えて、全力でサポートしてこられた優しいお母さんなのです。
家族はとても仲良しなのだそうです。
車椅子テニスを始めた小田凱人選手のために、お母さんは栄養バランスのとれた食事を用意したりして、サポートしています。
小田凱人選手は、このような優しいお父さんとお母さんに愛されながら困難を乗り越えていったのですね。
お姉さんが1人いるのですが、お名前や詳しい事はわかりませんでした。
小田凱人の弟は小田桃次郎さん
弟さんの桃次郎さんは4歳下です。
2024年現在は14歳で中学生です。
桃次郎さんはサッカー少年で、FCフェルボール愛知に所属しています。
お兄さんの小田凱人選手がサッカー選手になりたかったので、お兄さんの分も頑張っているのでしょうね。
桃次郎さんもお兄さんのように、運動神経がいいと思うので、これからの活躍が楽しみですね。
桃次郎さんにとってお兄さんは、「自慢の兄」で、新聞に小田凱人が載選手が載っていたらその新聞を学校に持って行って学校の同級生に自慢しているそうです。
ほんとにお兄ちゃんが大好きなのですね。
壮絶な病気を超えて!
小田凱人選手は幼い頃からスポーツが好きな少年でした。
サッカー少年だった小田凱人選手は、サッカー選手の本田圭佑選手やリオネル・メッシ選手に憧れていて、プロサッカー選手を目指していたのです。
そして、サッカーの日本代表になる事が夢だったのです。
サッカーが好きで日本代表になるのを夢見ていた小田凱人選手に突然の病が襲ってきたのです。
小学3年生の時に原因不明の左足痛に悩まされるようになったのです。
左足に違和感を感じ、運動会のリレー後に股関節付近に激痛が走り病院を受診します。
検査をすると、骨の癌である骨肉腫だったのです。
骨肉腫は、悪性腫瘍の癌で発生率は100万人に1人~2人です。
10代後半の若い人に発症しやすく、原因ははっきり分かっていません。
骨肉腫の出来た左股関節と大腿骨の一部を切除したのです。
小学3年生の子供にとって本当に大変な手術だったと思います。
小田凱人選手は骨肉腫の切除の手術を受けた後は、2ヶ月ほどは寝たきり状態だったようです。
そうでなくても子供は動きたいのに、ましてやサッカーが大好きだったのに出来なくなった悔しさと足の痛みで、毎日ベットで泣いていたそうです。
まだ9歳の子供には受け止めきれない現実で、本当に辛かったでしょうね。
小田凱人の9か月におよぶ入院
大変な手術をした後の入院生活は9か月にも及びました。
そして、その期間に治療の為に行われた抗がん剤は17回でした。
抗がん剤治療は副作用がひどくて本当に大変だと聞きます。
幼い身体で17回もの抗がん剤治療は本当に辛くて大変だったと思います。
よく頑張りぬいたと思います。
10歳で車椅子生活となったのですが、そんな中でも小田凱人選手は、弱音を一切言わなかったようです。
すごい芯の強さを持っていますよね。
小田凱人は入院中に車椅子テニスとの出会い
足を手術した時に、医師からもう走ることは出来ないと言われました。
失意の中、スポーツが大好きな小田凱人選手に担当医の先生から「パラスポーツを始めてみてはどうだろうか」と勧められたのです。
医師の助言の元に、パラスポーツをいろいろ調べてみたりする中で、車椅子テニスに心を動かされていったのです。
車いすテニスは、小田凱人選手が「一番びびっときた」というスポーツだったのです。
そして、「退院したら車いすテニスをやる!」という目標を決めたのです。
苦しい入院生活の中でこのような目標を見つけることが出来て本当に良かったですよね。
そして、退院後は本格的に車椅子テニスに取り組むために、教えてくれる所を探して車いすテニスを始めたのです。
実家の庭にも、車椅子でテニスが出来る練習場所があって、庭にはラインとネットがちゃんと準備され両親や姉や弟や友達とテニスを楽しんでいます。
ご両親は小田凱人選手の為にこのような素晴らしい環境も準備されたのですね。
小田凱人選手は小学生の頃に「僕の将来の夢は車いすテニスで世界一になることです。お父さんやお母さんにに恩返ししたいです。」とスピーチしています。
まだ小学生なのに、お父さんお母さんに恩返しをしたいなんて泣けてきますよね。
小田凱人に再び病魔が襲う
車椅子のテニスを始めてまだの4年しかたっていなかった時に、小田凱人選手に、またも病魔が襲ったのです。
今度は骨肉腫ではなく、癌が肺に転移していたのです。
今でも4ヶ月に1度は定期的に検査しているという事です。
そんな中でも『車いすテニスで世界一になる』という夢を持ってその夢に向かって努力していて本当にすごいですよね。
小田凱人の出身小学校、中学校、高校はどこ?
小田凱人選手は愛知県一宮市出身です。
小田凱人の出身小学校は一宮市立綾部小学校
小田凱人選手は小学1年生の時から徒競走では1位になるほど走るのがとても早かったのです。
運動神経が抜群だったのですね。
長い入院生活を終えて学校生活に戻った時に、友達と過ごす楽しさを感じたと話しています。
車いすテニスに出会ってからは、家族や友達と楽しんだり、スクールに通って腕を磨いていったのでしょうね。
小田凱人の出身中学校は一宮市立西成中学校
この西成中学校は、西成小学校、瀬部小学校の学区内の生徒が通学する中学校です。
小田凱人選手は、夢に向かって中学生になってもテニス漬けの日々を送っていました。
中学生からは、海外遠征もあったそうです。
勉強との両立も大変だったと思います。
2020年中学2年生の時に、ジュニアマスターズ国際大会で優勝します。
小田凱人の高校はN高等学校
小田凱人選手は、学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校に通っています。
この高校は、全国各地にキャンパスがあり、ネットで学べる通信制の高校です。
多くの海外遠征などをしているアスリート達がこの高校に通っています。
N高等学校には英語のオンライン通学コースもあって、実践的な英語を学べるようで、小田凱人選手はここで英語の力をつけています。
プロの選手になり、世界を転戦するために通信制の高校を選んだのでしょうね。
2022年4月4日高校1年生の時に、東海理化と所属契約を結びます。
小田凱人選手は、高校1年生の時に15歳でプロとしての活動を始めました。
スケートボードでは10代のプロスケーターがいますが、15歳のプロテニスプレイヤーはすごいですよね。
そして、この年の11月6日オランダで開催された車椅子年間王者決定戦NECマスターズでイギリスのアルフィー・ヒューエットを見事破って、史上最年少世界年間王者となったのです。
素晴らしいですよね。
小田凱人選手の快進撃は止まりませんでした。
2023年6月、高校2年生の時に開催された車いすテニスで全仏オープンで優勝して、史上最年少でグランドスラム初制覇しまいした。
そして、史上最年少で世界ランク1位を獲得しました。
また、2023年7月に行われたウインブルドンでも初優勝しました。
2024年1月の全豪オープンでも初優勝を果たして、4大大会の3勝をしたのです。
ものすごい快挙ですよね。
そして、2024パリオリンピックに出場します。
活躍が本当に楽しみですね。
小田凱人の身長・プロフィール
小田凱人選手の身長は175cmです。
名前は『おだ ときと』と読みます。
『凱人』という名前は難しいですよね。
この名前はパリの凱旋門をイメージして付けたそうです。
『凱』は勝どき、勝どきを上げるという意味も込められているそうです。
凱旋門の字を持つ小田凱人選手が、パリオリンピックに出場するのは本当にすごい意味深いことですよね。
是非とも、パリで勝どきを上げて欲しいですね。
2006年5月6日生まれです。
左利きです。
まとめ
小田凱人選手の目標は、『病気と闘う子供たちのヒーローになる』『史上最年少で世界シニアランキング1位になる』でした。
すでにもうその夢を果たしているのですよね。
本当にすごいです。
これから始まるパリオリンピックでの活躍がまた多くの人々に夢や希望を与えていくと思います。
応援していきたいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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