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田中章二は田中3兄弟の父、出身高校や大学は?指導者の歩みや、名言なども

体操選手
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体操界では田中3兄弟を知らない人はいないと思います。

田中3兄弟は田中和仁さん、田中理恵さん、田中佑典さんの3人でロンドンオリンピックの時に、兄弟3人揃って、体操の日本代表に選出されました。

そして、田中和仁さん、田中佑典さんは体操男子団体競技で銀メダルを獲得しました。

また、田中理恵さんは体操女子団体競技で8位入賞しました。

このようなすごい兄弟を育てたお父さんが田中章二さんです。

ここでは、田中章二さんの出身中学、高校や経歴や教育方針や体操界に大きな貢献をして来た事等々追っかけアスリートブログの私はいろいろ調べてみました。

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田中章二の出身高校、大学はどこ?

田中章二さんは、1950年2月、鹿児島県川辺町で生まれました。

少年時代は北九州市で過ごします。

活発な少年だった田中章二さんは、いろんなスポーツに挑戦しました。

野球やサッカーなども経験しています。

中学校は大蔵中学校に進学します。

体操との出会いはいつ?

田中章二さんの体操との出会いは東京オリンピックの時でした。

その頃14歳の時でした。

日本男子団体の演技を見て、『こんな競技があるのかと感じたすぐに自分もやってみたいと思った。』そうです。

この時の東京オリンピックでは、体操男子団体競技で金メダルを獲得しているので感動がより大きかったのでしょうね。

すぐにでも競技を始めたかったのですが、通っている中学校には体操部がなかったのです。

それで、体操部のある高校を目指す事にしたのです。

しかし体調を崩して志望した高校には進学する事が出来ずに、中学浪人となったのです。

中学浪人をするなんて、体操にかける強い思い、すごい情熱を持っていたのですね。

中学浪人の時に通った予備校で紹介されたのが、福岡県立戸畑高校だったのです。

田中章二の出身高校は福岡県立戸畑高校

戸畑高校は、体操の名門校として知られていました。

田中章二さんが入学した年にも、同級生の中に福岡県の中学大会で1~3位だった上位3人がいたそうです。

戸畑高校の当時の監督は、ナショナルチームで活躍した元選手だった中村輝美さんでした。

中村監督が現役時代は日本を代表する選手だったという事は、社会人になって知ったそうです。

田中章二さんは、素晴らしい方の指導を受けていたのですね。

田中章二さんは、『出来ることが増えていき、楽しいしどんどんのめり込んでいった。』と話しています。

体操を本当に好きで、心から楽しんでしていたのですね。

高校から体操競技を始めた田中章二さんは、高校3年時の九州大会で個人総合2位となります。

また、インターハイにも出場して、種目別で平行棒で2位となります。

同級生で福岡トップの部員達と切磋琢磨する中でどんどん強くなっていったのですね。

田中章二の出身大学は日本大学

田中章二さんは、日本大学に進学します。

大学に進学した後も、体操に打ち込んでいきます。

東京オリンピックメダリストの遠藤幸夫が体操部の監督で指導を受けていきます。

東京オリンピックを見て体操を目指した田中章二さんにとって、東京オリンピックのメダリストから指導を受ける事は、大きな喜びだったでしょうね。

大学4年生の時に、東日本インカレ5位となります。

そして、全日本インカレでは7位となり、団体競技では2位になったのです。

素晴らしい成績を残したのですね。

大学卒業後の進路を考えている時に、『和歌山に行ってくれないか』と和歌山県出身の恩師から声をかけられたのです。

教員の事も頭にあったので、その場で『行きます。』と和歌山県に行った事もなかったのに即答したそうです。

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田中章二の指導者の歩み

田中章二さんは、大学卒業後に和歌山県教育委員会に体育指導員に採用されて、着任します。

県立和歌山北高校の体操部の監督に

その1年後、県立和歌山北高校に赴任となり、教員となって授業や担任を受け持ちながら体操部の監督に就任したのです。

和歌山県はそのころ国体を連覇するなど体操全盛期だったのです。

そこで体操部の指導をしながら、自身の演技にも磨きをかけていくのです。

子どもたちを指導する傍ら、県庁体操部に所属して現役を続け、国体や全日本選手権などにも出場するのです。

そして、32歳で現役を引退します。

指導者でありながらも自身も共に腕を磨いて32歳まで現役であり続けたのはすごいですよね。

現役引退後は、指導者として本格的に学ぼうとスポーツ医学を学んでいきます。

成長と共に変化する骨や筋肉の仕組みや、栄養学などを学んだのです。

本当に、体操にかける情熱は素晴らしいですね。

設立された体操クラブでも指導

高校生の指導を続けているときに、中学生以下を対象にした【和歌山オレンジ体操クラブ】が設立されます。

そこではジュニア世代の子供達への指導にも関わっていくのです。

3兄弟の長男の和仁さんが小学1年生になり【和歌山オレンジ体操クラブ】で体操を始めるようになります。

すると、2歳下の理恵さんも『やりたい』と言って練習に参加するようになったのです。

さらに理恵さんの2歳下の佑典さんは、2歳の頃から体操クラブの送り迎えに付いていき、体育館が遊び場でした。

田中3兄弟はこのようにして体操に出会っていったのですね。

体操クラブでは『自分の子供を教えているという感覚はなかったです。練習中は他の子供と同じ1人の選手でした。ただ、どんどん体操を好きになっていく様子が嬉しかったですね。』と話しています。

田中章二さん自身がそうであったように、田中3兄弟もどんどん体操が好きになったのですね。

家では体操の話はほとんどしなかったそうです。

『伝えないといけないことは練習中にすべて伝えるようにいていました。』と話し、家では子供たちの世界を大切にしたそうです。

オンとオフをはっきりさせて接していく素晴らしいお父さんだったのですね。

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田中3兄弟が揃ってオリンピック出場!

2012年ロンドンオリンピックが近づいて来ると、世界体操史上初となる兄弟3人揃ってのオリンピック出場が現実味を帯びてきたのです。

そのことは、指導者でもあり、親として大きな重圧となっていくのです。

学校で授業をしていても、家でお風呂に入っていても、頭から離れなくなったそうです。

今までになかった経験であり、心境だったそうです。

実現したらすごいなと思う一方、『万が一、試合で失敗したら、練習で突き指をしてしまったら、3にのうち誰か1人が行けなかったら』という思いばかりが膨らんでいったそうです。

親として、このような気持ちになりますよね。

子供以上に苦しい様々な思いがあったと思います。

そんな中、知人から『日本体操復活』『オレンジ体操クラブ頑張れ』という色紙が送られてきて、それまでの不安が頭から飛んでいったそうです。

そして、あとは3人を見守るだけと心が決まったのです。

色紙で気持ちがガラッと変わって、すごいですね。

お父さんの気持ちが楽になって良かったですね。

田中3兄弟がオリンピックが決まった瞬間は?

オリンピック代表最終選考会を兼ねたNHK杯最終日のことです。

この時は、長男の和仁さんとと長女の理恵さんはいずれも1位で代表入りが確実だったのです。

しかし、佑典さんは微妙な立場だったのです。

その後、佑典さんの代表入りが発表された瞬間、田中章二さんは立ち上がって万歳をして、目から涙があふれました。

3人のお母さんの、誠子さんもかつて体操の選手だったのですが、大会の時はいつも願掛けで会場に行かずにテレビ観戦していたのです。

田中章二さんが3人そろっての五輪出場を報告すると、誠子さんも電話口で泣いていたそうです。

子供たち3人が皆、揃ってオリンピックに出場出来る事は、親として本当に奇跡のような嬉しい事ですよね。

世界体操史上初となる兄弟3人揃ってのオリンピック出場が実現したのです。

本当に素晴らしい事ですね。

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田中章二の経歴は?

和歌山北高校体操部の指導と共に和歌山オレンジ体操クラブコーチ・代表者として多くの優秀な選手を育てていきます。

2009年には日本体操協会から「優秀指導者賞」を受賞します。

また、2011年日本体育協会から「公認スポーツ指導者賞」を受賞します。

2012年には日本体操協会から「功労賞」を受賞します。

2013年に「和歌山県スポーツ功労賞」を受賞します。

このように沢山の賞を受賞されておられます。

高校の教員などを37年間務めました。

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田中章二と妻の名言は?

田中3兄弟のお母さんは保護者の方々に、「子供たちのいいところを五つずつくらい見つけてあげてください」と言っていました。

「悪いところばかりを探すのではなく、いいところをたくさん見つけて、そこを褒めてあげてください」と。

お母さんはいいところを探して、常に自信につながるような言葉をかけていたのですね。

田中章二さんの名言は「体操は遊びにいく感覚でやれ」といつも言っていたそうです。

また、「練習でも試合でも、体操を楽しめ」とも言っていました。

このような言葉をかけられた嬉しいですよね。

田中3兄弟は、口をそろえて『とにかくネガティブな発言を両親から聞いたことがないんですよね。』と話しています。

声掛けが、常に前向きであり、今でも情熱を持っていると話しています。

素晴らしいご両親ですよね。

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まとめ

2024パリオリンピックでは、男子団体や男子個人総合で金メダルを獲得して、世界に日本の体操を強さを示してくれましたね。

60年に渡って美しい体操を求めてきたレジェンドの田中章二さんは、『演技の美しさをより追求しようとする職人気質が日本の体操の強み。日本人に向いている競技だと思う。』と話しています。

美しさを追求し続けた田中章二さんだから出てきた言葉ですね。

体操界に大きな足跡を残された方ですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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