柔道界では史上初となる親子2代にわたってのオリンピック出場となる斉藤立選手です。
斉藤立選手は、長年にわたってオリンピックの金メダルから遠ざかっている100㎏超級に出場します。
男子最重量級は父親の斉藤仁さんが代表監督を務めた2008年北京オリンピック以降、優勝から遠ざかっているので、大きな期待がかかっています。
お父さんの斉藤仁さんは、1984年ロスアンゼルスオリンピック、1988年ソウルオリンピックの95㎏超級の金メダリストで2連覇を果たした偉大なる柔道家です。
その方の息子である斉藤立選手は、柔道界の若きエースなのです。
そこで、今パリオリンピックを目前に控えて、大注目されている斉藤立選手の学歴や出身校、大学や家族の事、父親、母親、兄弟の事等々追っかけアスリートブログの私いろいろ調べてみました。
斉藤立の学歴、出身中学、高校、大学はどこ?
斉藤立選手は大阪府大阪市の出身です。
小さい頃は、お母さんの傍に引っ付いている甘えん坊だったようです。
父親の影響で、5歳から振武館柔道場で柔道を始めました。
幼少期から金メダリストの父親から柔道を教わりました。
すごい環境で育ったのですよね。
お父さんは練習ではとても厳しかったそうです。
立選手にとって、お父さんは怖い人だったようです。
小学校はおそらく地元の公立小学校に通ったのだと思います。
小学5年生の時に、全国小学生学年別柔道大会45kg超級に出場したのですが、3回戦で敗戦します。
しかし、小学6年生の時に、全国少年柔道大会の個人戦で、全て一本勝ちという強さで優勝しました。
小学6年生の時には同年代の中では、日本一の強さだったのですね。
お父さんの斉藤仁さんは東京の強豪校である国士舘中学に進学させたかったようですが、立選手の性格をよく知っていたお母さんは中学校から親元を離れるのは無理だと判断して、誘いを断ったそうです。
子供の事を誰よりもよくわかっているお母さんの決断だったのですね。
斉藤立の出身中学校は上宮学園中学校
中学校は私立の上宮学園中学校に進学します。
この中学校は1947年開校の仏教系の学校で、2018年に系列の上宮太子中学校と統合されて上宮学園中学校になっています。
中学2年生の時に、全国中学校柔道大会の大阪予選で敗れて、本戦には出場できませんでした。
しかし中学3年生の時には全国中学校柔道大会の準決勝までは全て一本勝ちで勝ち上がっていくのです。
そして、決勝では延長戦の末、指導3により優勝したのです。
お父さんとの約束を胸に優勝を果たした斉藤立選手はすごいですよね。
中学1年の冬、偉大な父との別れ
この中学1年生の冬に偉大な指導者である父を亡くすのです。
まだ中学1年生で受けた父親の死は子供にとって受け入れ難いものだったでしょうね。
お母さんは息子たちには早い段階で病気のことは伝えていたそうです。
『お父さんは絶対に治すから、心配しなくてもいいよ』って。
その後、『お父さん、もう治ったから』とも伝えていたそうです。
子供の気持ちを考えてのことだったのでしょうね。
しかし、お父さんの仁さんは日に日に痩せていったのです。
110kgあった体重は80kgまで激減しました。
映像にも瘦せていった姿が残されていますが、ただごとではないと私も感じていました。
そんな中でも仁さんは時間が許す限り、自分の命を削るように、息子達に柔道を教え続けたそうです。
息子達に自分が掴んできたものを少しでも伝えていき、残したかったのでしょうね。
お母さんはその姿を「ひょっとしたらこれが最後になるかもしれない」と思いながら、稽古の様子を携帯電話で映像に残していったのです。
「看護師さんに『覚悟されてください』と言われた日も、主人に『稽古休ませようか?』と聞いたんです。そしたら息子たちに『稽古、行け』と一言。結局、それが最後の言葉になってしまいました」と話しています。
仁さんの意識が次第に薄れゆく中、仁さんに「2人の子どもたちを立派な柔道家に育てるから安心して」と語りかけました。
その言葉が届いたのか、仁さんの目からは涙がこぼれたそうです。
「耳は最後まで聞こえているよ」と伝えると、立選手は『絶対オリンピックに出る選手になるから。俺、金メダル獲るから』と語りかけたのです。
これがお父さんとの最後の約束になったのです。
そして、それを果たしていこうとしている立選手は本当に立派ですね。
2015年1月20日、仁さんは54歳という若さで、静かに息を引き取ったのです。
肝内胆管がん
斉藤立の出身高校は国士舘高校
高校は父親の母校でもある国士舘高校へ進学します。
斉藤立選手は、少しずつ父親の死を受け入れられるようになって以降は、柔道に真剣に向き合うことができるようになり練習に明け暮れました。
そんな中、はじめて父親の試合映像を見た時、父親の仁さんのバネや爆発力に衝撃を受けます。
そして、立選手が柔道に悩んだ時には、暇さえあれば父親の試合の映像を見るようになったのです。
お父さんはこうして亡くなった後も息子である立選手のお手本になり続けたのですね。
高校1年生の時に、全日本カデ柔道体重別選手権大会で優勝します。
2年生を破っての優勝だったのです。すごいですよね。
全日本ジュニア柔道体重別選手権大会では3位になります。
高校2年生の時に、ロシアジュニア国際をオール一本勝ちして国際大会初優勝をします。
そして、金鷲旗、インターハイの個人戦、全日本ジュニア、世界ジュニアの団体戦、全国高等学校選手権の団体戦全てで優勝するのです。
すごい成績を次々と収めていき敵なしの強さを見せてくれました。
高校3年生の時には、4月の全日本柔道選手権大会に初出場を果たすも3回戦で敗退します。
高校3年生で全日本柔道選手権大会に出場したのですね。
7月の金鷲旗では2連覇を達成しました。
8月のインターハイ団体戦では今大会の100kg級チャンピオンであった森健心選手を破りチーム優勝します。
この優勝により、高校団体三冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成しました。
個人戦でもオール一本勝ちで2連覇達成となりました。
斉藤立選手は、圧倒的な強さですよね。
斉藤立の出身大学は国士舘大学
斉藤立選手は、国士舘大学体育学部武道学科に進学します。
大学入学の直前で腰のヘルニアによって2週間入院をしており、4月に行われる全日本選手権大会には出場できませんでした。
2022年大学3年生の時に、体重無差別で柔道日本一を競う全日本選手権で初優勝を収めています。
そして、親子二代での全日本選手権制覇は史上初なのです。
すごい快挙ですよね。
世界柔道選手権大会ブダペスト2021の世界王者である影浦心を下して初優勝でした。
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そして、金メダルを期待されて臨んだ世界柔道タシケント2022では、惜しくも決勝で敗れてしまい銀メダルとなりました。
世界ランキング上位者だけが招待されるIJFワールドマスターズ2022(イスラエル・エルサレム)では金メダルを獲得しました。
2024年、この春に斉藤立選手は、国士舘大学を卒業しました。
新調した紺色のスーツに母親の三恵子さんが仁さんに贈ったという黄色のネクタイで、卒業式に出席しました。
部活動などにおいて抜群の功績を残したとして「柴田徳次郎賞」を受賞しました。
学長からは「41年前にお父さんもこの賞を受賞した。親子2代本当におめでとう。パリオリンピック、期待しています」と激励されました。
日本トップクラスの学生が揃っている国士舘大学で斉藤立選手は、一回りも二回りも成長して、確実に強くなっていったのですね。
卒業後はジャパンエレベーターサービス株式会社に入社し同社柔道部に所属します。
斉藤立選手の身長・体重・血液型・wikiプロフィール
斉藤立選手の身長は191cmです。
体重は170kgです。血液型はO型です。
階級は100kg超級です。
名前は『さいとう たつる』と読みます。
2002年3月8日生まれです。
四柱推命的には、いったん初めてたら徹頭徹尾、最後まであきらめなずに押しまくる敢闘精神があります。
このようなところが強さに生かされているのでしょうね。
父親がよく口にしていて、特に大切にしている言葉が「謙虚であれ」という言葉です。
まとめ
いよいよパリオリンピックが目前に近づいてきました。
お父さんとの約束を胸にパリに向かっていることと思います。
親子2代の金メダルを誰もが期待して、願っていると思います。
頑張って欲しいですね。
応援していきたいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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